皆様からのコメント
日本映画監督協会 理事 佐藤武光
これは、不思議なシニア恋愛ドキュメンタリー映画だ、気功家〜稔氏73歳、妻弥生さん72歳スペイン語翻訳家、社会活動家、糖尿病のネコのチャロ、この二人と一匹の生き様を淡々とカメラは追って行く〜恋愛ストリートとは、ほど遠いタッチで〜老後の生き方を僕らに説教してる様にすら感じさせながら〜。
最後に稔さんの死期が近づくにつれ弥生さんは、どれだけ稔さんを愛していたかに気づき始める。
あっぱれな溺愛恋愛劇と言えよう。
前川喜平
稔さんは気功の世界で一家を成し、彼を慕う多くの信奉者を持った。特別な女性の<信奉者>がいた様子も窺える。稔さんを慕い敬愛する人たちからは、弥生さんは悪妻に見えていたようだ。そのことは弥生さんも知っている。末期がんに侵され日々死に近づく稔さんと甲斐甲斐しく介護する弥生さんは、確かに心を寄せ合い同じ時間を分かち合っていた。
「結婚して一番幸せだったのはいつ」と問われ「最後です。最後に私のところに戻ってきた。」と答える弥生さん。その最後の時間を見つめたこの映画には、<夫婦善哉>というタイトルがやはりふさわしいのだろう。
世田谷区長 保坂展人
映画は学生運動の大きな波の渦中で出会った二人の若者が、愛し合って、結婚していく歴史を辿っていった。
星野夫婦について何でも知っているつもりだったが、それはあくまで表層に過ぎなかった。稔さん弥生さんネコのチャロ、それぞれの生きる時間が濃縮して描かれ、星野家を良く知る者にとっても発見のある映画だった。
帯津良一 帯津三敬病院 院長
稔さんとは、6月と12月に杯を酌み交わす仲でした。この酒席の雰囲気が実に良く、その一因は星野稔さんにありました。星野さんはいつの頃からか生と死を統合していたのです。この酒席の一つひとつが我が人生の宝物です。あの世に行ってからの楽しみがまた一つ増えました。
落合恵子
この映画の全編から聞こえてきた曲がある。
バーバラ・ストライサンドが歌う、映画<追憶>のテーマソング<The way we were>だ。
稔さん、弥生さん、チャロの<The way we were>に何度も涙した。
映画プロデューサー 小林佐智子
彼女の想いを一身に受け止めて
チャロは彼を追った
いま二人は一緒だよ
脚本家 東多江子
美しきカップルにも、けったいな夫婦にも、やがて別れがやってくる。見送りは、避けては通れない大きな「宿題」参考書なんてないのである。予習もできないのだ。映画のラスト、弥生さんの表情と言葉に静かな達成感がにじみ出ていた。静かだけど、深い感銘だった。この映画が、わたしたちの参考書になるかもしれない。
アイ マサキ
締めくくりからはみ出るものがある。
それが作品の価値なのかもしれない。
そのはみ出るものにたじろぎ、うろたえるのがホントの作り手なのかもしれない。
その所在を感じさせたのはエンドロールだった。
関係者、協力者が多いのでクレジットタイトルが巻き上がるのにえらく時間がかかる。
その背景を領していたのは闇だった。
闇の中、虚空に舞い落ちる、あれは雪だったのか、花だったのか?
山之内悦子 翻訳家
素晴らしくオープンな映画でした。
綾なす喜びと悲しみ、苦しさは誰の人生にも通じ、深い共感を呼びました。
昭和を思わせるナレーションもよかった。
稲野茂正 世田谷こどもいのちのネットワーク
弥生さんはミーハーである。弥生さんはジュリーが好きだった。弥生さんのジュリーは稔さんだった。
稔さんは外大の空手部出身で活動家だった。相当モテたであろう。それを追っかける女性も一杯いたろう。
それを振り切って、二人はスペインで結婚式を挙げた。稔さんはガンになる、色男のがん治療はすごかった。
最後に立ち向かう弥生さんは実にかっこよかった。
「最後が一番楽しかった」と弥生さんは言った。
いい言葉だった。
(K・Y)
学園封鎖の中で学生時代を送った僕ら同世代、学生運動の経験が、その後の人生に影響を及ぼしたと思う。
団塊世代がいかに生きたかの一つの例として興味深いものになっている。
(O・M)
長い人生二人分と、猫一生分、見せていただきました。
一人の男性を看取り、添い遂げると言うこと、もう私にはかなわないことなので、うらやましかったです。
(Y・I)
夫婦の50年近くにわたる簡単ではなかったと思う姿が描かれていて、他人同士が一緒に過ごした愛情が流れているドキュメンタリーになっているとおもいました。
(Y・K)
赤裸々で、生きてるっていいなと思えるドキュメンタリーでした。ギターとハーモニカが素晴らしく、それを強く感じさせてくれました。